ラップの走りといってもいい「早口言葉」 桑田佳祐と同じくらいの“ポップスさ”持つ 永遠のコメディアン・志村けん伝説

引用元:夕刊フジ
ラップの走りといってもいい「早口言葉」 桑田佳祐と同じくらいの“ポップスさ”持つ 永遠のコメディアン・志村けん伝説

 【永遠のコメディアン 志村けん伝説】

 コメディアン、志村けんさんを語るのに欠かすことができないのは、ギャグやコントを彩ったさまざま音楽だ。ミュージシャン的な一面から、その功績を探る。

【写真】東村山駅外に設置された献花台

 今でこそ、ザ・ドリフターズはお笑い系とみられていますが、もともとはミュージシャン。1966年のビートルズの来日公演で前座としてステージに立ったことはよく知られています。志村さんもそんなドリフで“ボーヤ”をやっていたわけですから、当然音楽的な素養はあるのです。

 荒井注さんが抜けた後に入った志村さんですが、当初はなかなか受け入れてもらえず、相当苦労したそうです。そんな志村さんが一躍人気者になったのが『東村山音頭』でした。

 あのネタは音楽的な素養がないと絶対にできません。2パターンの音頭から、一転ジェームス・ブラウンばりの「ウワーオ」というおたけびが飛び出すというネタ。

 劇的な緩急のつけ方ですが、音楽的にいえばサビの部分だけなんです。しかし、あれを作るにはキャッチーなセンスがないとできません。

 ドリフの中では、年齢的にも若い。加藤茶さんや仲本工事さん、高木ブーさんらにはできない新しいセンスがあったのでしょう。いかりや長介さんもそこの見抜いていたのではないでしょうか。

 そのあと、「早口言葉」や「ヒゲダンス」というコントも大ヒットしていきます。こちらはR&Bやファンクを大胆に取り込んでいます。

 「早口言葉」なんてリズムに合わせて、節もつけてですから、ラップの走りといってもいいでしょう。志村さんのブラックミュージックへの知識の深さがうかがえます。

 志村さんがこうしたコントを披露していた1970年後半は、歌謡曲とニューミュージックが音楽シーンを席巻していたました。そこにサザンオールスターズが登場し、早口で歌いまくるスタイルが一石を投じました。

 『東村山音頭』の衝撃は、サザンのデビュー曲である『勝手にシンドバッド』の衝撃と同じぐらいなんです。志村さんは、桑田佳祐さんと同じぐらい“しなやかなポップスさ”を持っているのです。

 ギャグのセンスはヒット曲を生むセンスと同じ。志村さんは音楽家としても素晴らしいアーティストでした。(音楽評論家・尚美学園大学副学長、富澤一誠)

 ■志村けん(しむら・けん)コメディアン。1950年2月20日、東京都生まれ。高校卒業後、ザ・ドリフターズの付き人を経て、74年に正式メンバー。『8時だヨ!全員集合』(TBS系)で次々にギャグを生み、人気者に。同番組終了後は『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS系)や『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)などで活躍。2020年3月29日、新型コロナウイルスのため70歳で死去。