雑誌掲載「野球マンガ」のルーツ! 月刊誌「漫画少年」に連載された井上一雄の「バット君」

引用元:夕刊フジ

 【マンガ探偵局がゆく】

 2月1日、プロ野球各球団はいっせいにキャンプインした。開幕戦はオリンピック期間中の中断があるために、セ・パともに昨年よりも10日早い3月20日になる。今回は球春にちなんだ依頼である。

 「父は野球マンガが大好きで、その影響でぼくも野球好きになり、春に高校生になっても野球部に入るつもりです。そこで、ずっと気になっているのが、野球マンガっていつごろからあるのかということです。父にきいても“知らない”と言います。探偵局で調べてもらえますか」(四番バッター・15歳)

 若い人からの依頼は大歓迎だ。

 ただし、調査内容が「初めてマンガで描かれた野球を探して欲しい」ということだとすると、これは当探偵局には手に負いかねる。新聞マンガでは、大正以前から学生野球が描かれたとも言われ、それらを探すには相当な時間がかかるのだ。

 だが、雑誌に連載された最初の野球マンガ、という意味なら話は早い。1948年1月から翌年3月まで、月刊誌「漫画少年」に連載された井上一雄の「バット君」がそれだ。

 主人公の長井抜十(ながいばっとう)君はA中学の2年生。野球部入部が夢だが、バッティングも守備もダメ。やっと補欠として入部を許されると、人一倍練習を積んで少しずつ上達し、M中学との対抗戦ではついにレギュラーとして出場するチャンスをつかむ。

 明るく朗らかな「バット君」は、まだ娯楽が少なかった子供たちをたちまち魅了した。この作品のヒットで、ライバル誌もつぎつぎと野球マンガを連載するようになり、文字通りの元祖だ。

 掲載された「漫画少年」は、戦前に「のらくろ」や「冒険ダン吉」「少年探偵団」などで人気を集めた講談社の月刊誌「少年倶楽部」で編集長をつとめた加藤謙一が、戦後日本の子供たちのために創刊した雑誌。

 作者の井上一雄は少年時代から闘病生活を続けながらマンガを描き、「少年倶楽部」への投稿作を加藤に認められデビュー。戦前には「愉快小僧」を連載するなど天才少年と評された。「バット君」が始まった頃はようやく健康を取り戻した時期だった。

 しかし、執筆依頼が増え、「赤グローブ青ミット」「投手の正ちゃん」「少年ホームラン王」などを連載するようになった井上は、過労のために、急逝してしまう。享年36。「バット君」は絶筆となって多くのファンを嘆かせた。

 ■中野晴行(なかの・はるゆき) 1954年生まれ。フリーライター。京都精華大学マンガ学部客員教授。和歌山大卒業後、銀行勤務を経て編集プロダクションを設立。1993年に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』(筑摩書房)で単行本デビュー。『謎のマンガ家・酒井七馬伝』(同)で日本漫画家協会特別賞を受賞。著書多数。